桜と不倫

寒さもだんだんと和らいできて、やわらかな陽射しが心地よい暖かさを運んでくる季節になってきた。桜の花びらはここぞとばかりに満開になっている。今年の桜は綺麗とは思えなかった。景色は感情によって表情を変えるということを身をもって体験した。

僕の妻が不倫をしていることが発覚したのだ。おそらく間違いない。
その日、ぼくは会社をはやあがりすることができて、帰り道に大阪に寄り道したときに偶然見かけてしまったのだ。妻と妻の会社の同僚とがうきうきしながら手を繋いでいるところを。以前から妻が出社するとき、その会社の同僚がわざわざぼくの家まで迎えに来ていたこともあって、まさかとは思っていたけれどそのまさかであった。仕事を理由にたまに家に帰ってこないことの合点がいった。

もやもやとした気分でとりあえず数日を過ごした。その他なかった。時間は嫌でも過ぎていく。言及することも考えたが、そこそこ安定したいまの生活や、いままでの妻との思い出がすべて消えてしまうのではないかと思うと、妻にそのことは言えないでいる。その後のことを考えると、暗い気持ちになり、そのときに不安に押し潰される自分が容易に想像できる。不思議なことにこの状況に自分が慣れることを望んでいる自分もいた。不倫をした妻を責めるのではなく、不倫をさせてしまった自分を責めてしまうこともした。
僕にはなにがあるのだろう。なにがあったのだろう。4年前結婚したときに妻は僕の中になにを見いだしていたのだろう。考えたってわからないし、いまさら知りたくもない。それとも、惰性だったのだろうか。今回は特殊な例だが、妻といるとときどきこういうことを強く考えていた。考えすぎが体に毒であればぼくはとっくに昏睡状態に陥っている。
結婚当初は妻が他の男性と楽しくしゃべっているのを想像するだけで、嫉妬で心を痛めていた。でもいまは、嫉妬の欠片もない。気持ちが薄まったわけではない。むしろ共に過ごすなかで気持ちは高まっていくばかりだった。しかし今回ばかりは諦観が勝ってしまったのだ。彼女の虜になってしまってる状態から解放され、自由の身になりたいという願望すら芽生えていた。
ぼくには妻を想うことしかできない。とりたててなにかできるというわけでも、顔が整っているわけでも、甘い言葉をかけられるわけでも、なんでもない。
愛情表現が下手で、それを伝える手段も持ち合わせていない。困ったやつだなと自分でも思う。もはや涙も出ない。
好きってなんなんだ?厄介すぎやしないか?

妻の不倫が発覚したその翌週末にたまたま二人の休暇が重なったので、久々に二人で出掛けようということになった。ぼくは戸惑ったが、断るためのうまい理由が思い付かなかったので、一緒に出かけることにした。妻の不倫をぼくが知っていると思われたくなかったのだ。近くの川沿いの桜がこの辺りでは有名だったので、その日は春爛漫の快晴であったこともあり、そこに花見をしに行こうということになった。二人で川沿いに小さなレジャーシートを敷いて花見をした。狭いレジャーシートに二人でちょこんと座った。辺りでは大学生が騒いでいたり、この日のために生きているのだと言わんばかりに集まっている老人たちがいた。ぼくたちは妻が作ってくれたサンドウィッチを食べ、行きしなに買ったビールを飲みながら、仕事の話や下らない話をして何気ない会話を繰り広げていた。はじめのうちはどう接したらいいかわからなかったけれど、4年間をだてに過ごしてはいなかった。妻は妻のままなのだということに気付く。恐ろしいぐらいに。結婚当初あるいは不倫が発覚する前の自分を思い出す。不倫はしていないのではないか?人違いだったのではないか?と思う。平和だった。綺麗だと思った。桜だけでなく自分の取り巻くすべてが美しく見えた。なにものにも代え難いものに感じた。不倫をしていようが、妻を失いたくないと思った。やっぱり景色は感情によって、驚くほどに表情を変化させる。景色に自分が映っているのか。

それからの日々、毎朝不倫相手様が妻をお出迎えにあがり、それをぼくは社交辞令としての笑みを浮かべて妻を見送り、そのあと自分が仕事場に向かうというような、妻にとってはいつもと変わらぬ日常を過ごした。心は痛いが、気が狂うことはなかった。やはりどこかにあきらめを感じていたんだろうとおもう。しかし、希望は捨てていなかった。正確には、捨てられなかった。捨てられたらどれだけ楽だっただろうか。好きって絶望なんじゃないか?
妻には結局言えないままである。弱い自分が言わせてくれないのだ。
妻からの告白も、いまのところない。

桜が散り始め、青々とした葉っぱをつけた木々が目立ち始め、初夏の匂いがわずかながら鼻を通る。心地よい。桜は儚く散っていったけれど、また一年後のこの季節には満開となり、たくましく咲く。
こんなぼくでも、1年後もしくは数年後に、桜のように儚くとも力強く咲けるために、何かしてみるぐらいのことはできるんじゃないか。それはするかしないかのどちらかではないのか。弱い自分は無意識のうちにしない方ばかりを選択していたのではないか。不倫をしている妻をとがめるのではなく、自分が悔いのないように頑張ってみればいいのではないか。桜を通してこんなことを思う日が来るとは夢にも見ていなかった。
この4年間幸せに身を任せ、頑張ることの意味が見いだせなかった。頑張らなくても幸せだったのだから。今では頑張らなかったことに後悔している。
妻のことが好きじゃなかったらこんな風に思えていないだろうと思う。もしかするとぼくは愛しているのかも知れない。それはもうどっちでもよかった。どちらにせよ、どちらでもないにせよ、ぼくにとってはこれが素敵なことであることには代わりなかった。
好きって、あるいは愛するって、ただ生きていてほしいと願うことなんじゃないか?
ふとそう考える。そう思えたら素敵じゃないか。好きの本当の正体なんてどうでもよくなっていた。解釈には自由があるんだ。好きという言葉に支配されていたことが馬鹿馬鹿しく感じるようになっていた。きちんと言うのなら支配されていたのではないと思う。言葉に寄りかかれば思考停止できる。それに甘んじて、自ら支配されることを無自覚のままに容認していた。容認していることにすら気がついていなかった。これも解釈の自由か。

これからは自分ができることを精一杯してみよう。そう決意した。ぼくがぼくであるためにも。

結晶作用

スマートフォンの通知音が鳴る。ぼくはそれで目を覚ましスマートフォンに手を伸ばす。目を擦りながら電源をつけると、「神戸に帰ってきているから、久しぶりに会わないか。」と表示されていた。「わかった」とだけ返信し、軽い朝食をすませ、家を出た。待ち合わせの店に着くとそいつは立っていた。店に入り、席につき、2杯のコーヒーを頼み、近況報告やら他愛のない話をして過ごしていた。そして、最後にこんな話をされた。恋愛の話だ。

「恋が発生する前にな、まず感嘆するんだ。容姿でも声でも、仕草でもなんでもいい。とにかくその人のどこかに感嘆する。そして、この子とあんなことができたらどれほどいいだろうなどと自問する。妄想と言ってもいい。希望が生まれて直ちに恋が生まれる。自分が愛し、愛してくれる人にできるだけ近くに寄って、見たり触れたりあらゆる感覚をもって、感じることに快楽を感じるようになる。まあ、ここまでは流れに任せろ。ここからが肝心なんだ。」
ぼくは黙って聞いている。
「恋が生まれると次に、第一の結晶作用が生まれる。結晶作用ってのはわかるか?」彼は純粋な目で聞いてきた。ぼくには結晶作用がなんなのか全くわからなかったが、黙っているわけにもいかなかったので、「お互いの愛が結晶化して確実なものになる」と答えた。
「甘い。全然違う。」彼は強く断言した。これだけ強く否定されるとばつが悪くなる。
「結晶作用はザルツブルクにある塩坑の話が基になっている。」
ぼくは何の話だ、と聞こうとしたが、やっぱり黙って聞くことにした。
ザルツブルクの塩坑では、冬になると葉を落とした木の枝を廃坑の奥深くに投げ込むんだ。2,3カ月経ってそれを取り出して見ると、それは輝かしい結晶で覆われている。山雀の足ほどもない細い枝ですらまばゆく揺れてきらめく無数のダイヤモンドで飾られている。もとの小枝はもう認めない。」
彼は得意げに、ゆったりと話した。
「あばたもえくぼということか」
「それも結晶作用のひとつだ。経験あるだろ?そのときは、千の美点を見いだす。この期間がいつまでも続くことを切に願う。幸福なことだ。しかしだ、人はすべて単調なものに、完全な幸福にさえ慣れて、いずれ飽きるんだ。そこで疑惑が生まれる。慣れってのは怖いぜ。
これはおれの憶測に過ぎないが、女ってのは疑惑を持ち始めると一時の情熱的な陶酔から冷め、羞恥心に負けたのか、道に背いたことを心配しているのか、あるいは媚態によってなのか、皮肉的なことを言ったり、そっぽを向いたりする。厳しくなるんだ。いつでもこれは男を混乱させる。恐ろしい不幸に陥るのではないかという懸念が男を苦しめる。」
苦い思い出があるのか、彼は感傷に浸るように話している。男と女を型にはめて考えることに危険性を感じなくもないが、首を突っ込まずに適当に相づちをうちながら聞いている。
「疑惑の発生で恐ろしい夜が続いている中、第二の結晶作用が始まるんだ。やっぱり、彼女はおれを愛している、と。彼女がおれに与える快楽は、彼女のほか誰もあたえてくれない、と。ここでも恋は盲目だ。第二の結晶作用が起こればちょっとやそっとのことでは関係は崩れない。恋をするとな、こういう葛藤というか苦悩ってのは必ず起こるんだ。意思とは関係なく生まれ、消える。お前に恋人ができて、これを実感できなかったら、おれはお前の恋人を娼婦だと言おう。」
偉そうに語る彼に不快感を抱いたが、理解できない話ではなかったし、多少の説得力もあった。

「あとな、ひとつだけ言っておく。」
まだ、続くのかと反射的に思った。
若い女にばかにされたところで、躍起になるなよ。行いの正しい男ってのはよくそんな目に合うんだ。」彼は言い放った。
「そんなの無理な正当化じゃないか」とぼくは反論する。
「そう考えると、気に病まなくてすむだろ。真実とか事実ってのはあまり価値のないもんだぜ。いちいちかまってたらきりがない。」
彼は言い終わったあと、残っていたコーヒーを飲み干し、バイトに行ってくると言って店を出た。

一人残されたぼくはスマートフォンで結晶作用と調べた。するとひとつの書物がヒットした。スタンダールの恋愛論だ。なんだよあいつ、えらそうにと思った反面、熱心にそれをぼくに伝えようとしていた彼の姿を思い出した。

受験体験記

ブログをはじめて間もないが、やはりインターネットのすごさというべきか恐ろしさというべきか、意外とこんな陳腐な記事に目を通してくれる方が多い。知人にだけ読まれるものだと思っていた。

ということで、知人にとっては再掲ということになるが、受験体験記を寄稿してくれないかという要望に応え、所属していた学校に向けて書いた文章をブログにアップしようと思う。


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年が明けると共に始まった志望大学合格に向けた受験勉強は7ヵ月におよび、この7ヵ月はとても濃度の高い日々となった。勉強の面ではもちろんのこと、勉強以外のことも多く学んだ。その多くのすべてを書くことは不可能であるので、受験勉強を始めた頃の自分に言いたいことを書こうと思う。これを通して受験報告書とは一味違った形でこれから受験を迎える人たちの参考になればと、そう思う。

受験勉強を集中して取り組んでいくにあたって、なによりもまず自分に合った環境を見つけるということが大切のように思う。一口に環境と言っても考えられる要素はたくさんある。勉強する場所や時間、時間帯、入眠時間、睡眠時間、入浴の仕方、食事...etc. この時点でまず、勉強が習慣づいている人との差が如実に現れる。ぼくはここでかなり苦心し、最適な環境を見つけるまでに3ヵ月ほどかかってしまったが、それまで自分が集中していると思っていたものはたいしたことのないものであったことがわかり、本気で集中して勉強に取り組む、つまり真剣に勉強することの大切さを知ることになる。

はじめの頃は本気になって集中することのできる時間は短かったが、続けていくと次第に長くなっていった。体力がついていくような感覚である。そしてさらには、自分に合った環境の中でどれかいくつかの要素が欠けていたとしても集中ができるようになった。また自然と効率も上がっていったように思う。つまりは20歳になって集中の仕方がようやくわかったということである。これは受験当日においても、それまでの勉強量に匹敵するほど重宝した能力である。その甲斐もあって、合計6時間もある筆記試験を乗り越えられたように感じている。

受験に限った話ではないがなにかを達成しようと思えば、まず目標を定めそこから逆算してやるべきことを設定し、いかにしてその通りに行動できるかが鍵となる。ここで逆算するためには情報収集が欠かせない。そして、行動を興す際にこの深い集中力をもって取り組むことができればそれはもうこっちのものである。しかし、真剣に勉強すると言っても、受験勉強の期間は長い。毎日毎日十数時間も勉強のできる人であれば問題ないが、そういう人はおそらく少数派ではないだろうか。多数派である人で、長い長い受験勉強をコンスタントに真剣に取り組むために必要になってくるのが、メリハリである。やると決めれば絶対にやるし、やらないときは徹底的にやらない。しかし、このやるときとやらないときの時間のバランスは自分の中で折り合いをつけながら決めなければいけない。
一筋縄ではいかないことがほとんどであったが、とにかく、なににせよ、やるかやらないかのどちらかである。その間はない。受験に失敗しても人生が終わるわけではないので、視野を広く受験勉強に挑むと少しは気を楽にして取り組めるかもしれない。そういう意味では他人に流されずに自分を捉え直す機会であり、また、やることはやる、やるときはやる、ということの真意に気がつけた7ヶ月間でもあったといえるが、規則正しい生活を送り、自分の勉強法を確立している人には鼻で笑われてしまいそうである。

最後に、支えてくれた家族や友人や先生への感謝の意、勉強していくにつれて自分の非力さの再認識、そしてなによりも、したいことをするためには自分の道を自分で決めなければいけないという一種のあきらめがあったから、7ヶ月という短い期間ではあったものの謙虚に受験勉強に邁進することができたと思う。本当に謙虚であれば自分で自分のことを謙虚であるなどとは言わないかもしれないが、この謙虚に勉学に励むということが一番の肝であると感じた。そうすれば言わずとも集中力は高まっていくのではないだろうか。

受験勉強を始めた頃の自分に言いたいことをまとめたものであるが、これを自分の受験体験記とする。

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やさしさ1 - 表面的なやさしさ

前回の記事で、傷つけない、傷つけられないというやさしさが社会通念となりつつあることを感じていると書いた。つもり。閉塞感すらも感じると。

このようなやさしさをやさしくないと揶揄したいわけではない。
やさしさと一口にいっても、様々な状況や事情、どの視点、どの立場かによって変容していくために、やさしさとはこうだ!こうあるべきだ!という主張は不毛であると思っているのでそういう話はしない。
やさしさを考える切り口として、先日聞いた友人の別れ話を題材に思うことを書き下す。
前回の記事でいうところの保身的で利己的で表面的な「やさしさ」について。

待ち合わせをしていた駅で、僕は音楽をBGMとしてぼーっと聞いていた。そして予定の時刻になろうとしたときに人混みのなかから友人は突如現れた。ぼくがイヤホンを外すや否や、恋人と別れたと唐突にぼくに告げ、「こっちは色々考えてたのに、相手なんてなにも考えてないしなにもしてくれなかった!」と言った。あまりの唐突さに、ぼくはきょとんとする他なかった。そんな風にして久しぶりの再開を確かめ合うこともなく落ち合ったそのあと、喫茶店へと足を運んだ。そこで話を聞かされたわけだが、特になにがあったわけでもなくありきたりな別れ話を聞かされるだけでほとんど聞き流していた。聞き流していることを咎められることなく、おひらきとなり、ぼくとしては一件落着だった。話の詳細はひとつとして覚えていない。ただ、ひとつ思ったことがある。
そこで見切りをつけられるほど、恋人と真剣に向き合ったのかと。
自分の身を取り繕うための配慮に気が向いて、思慮が足りていなかったのではないかと。

友人のような、「あなたのためにしてるんだから」「私は私なりに気を遣ってのことなのに」と不機嫌になり、苦言を呈する人は一定数見受けられる。そういう人の多寡は知らないし、問うつもりもない。
そんなことを言われた方からしてみれば、気付かないお前が悪いと後ろ指を指された気分になり、ばつが悪くなる。
そんな見返りを求める、戦略的なやさしさは相手のためを思っているのではなく、あくまでも自分のためという独善性を含んでいる。こういうことは、例として挙げた友人の話にあるように、男女関係においてとりわけ強く感じる。
こちらがこうしてあげたいなと純粋な気持ちで行動を起こしたとしても、そういう人たちにとってやさしさは戦略的なものだという思考がこびりついているため、純粋さに目もくれず、こちらの行為はそれは戦略的な行為と解釈される。であるから、この戦略的なやさしさを持ち合わせている人はなにをしても満たされない、残念な人に僕の目には映る。友人もその一人となった。
そして、追い討ちをしてくるかのように「あなたは私のことを全然考えてくれてない」「私のことばかにしてるでしょ」「私のことなんだと思ってるの」といった具合にしきりに責めてくる。さらには、やけのやんぱちになったのか、ふてぶてしい態度を取る人もいる。被害者意識が強いというか、自意識過剰というか。戦略的なやさしさを匂わせたり、求めたりするくせに、戦略的なやさしさを嗅ぎ付けると不服そうにする。

なにがしたいんだ。

と友人に対して言いたいが、鈍感すぎという声が帰ってきそうだ。ぼくは傷つけまいとそれを口にしなかったので、やさしい人である。

やさしさ 1

やさしさについて書いてみてほしいという声があったので、考えてみた。

きょうび、「やさしさ」が大人気である。

「彼氏さん、やさしそうでいいね」
「私のためになんでもしてくれて、やさしい!」
「あの先生は単位をくれるから、やさしい先生だ」

など、日常的で何気ない会話のなかでやさしさはしばしば取り上げられ、いまや「やさしさ」は絶対的な価値を持っていると言える。
そして、不快な思いをさせられたり、傷つけられたと思うと即座に
"この人はやさしくない、注意せよ"
とまるでプラグラムされたかのような、過剰な反応を示し、短絡的な思考が起動する。このプログラムによれば、人を傷つけることを避ける人を「やさしい」人とみなす。
相手の気持ちに立ち入ることはタブーで、相手の気持ちを詮索しないことが、滑らかな関係を保つのに欠かせないものとなっている。

傷つけないように、なんとか嫌われないように、そんな保身的で利己的で表面的な「やさしさ」を身にまとい、「やさしい」人を演じようと、したり顔で「やさしい」人になろうと日々精進している人もいるんじゃないかと思うほどだ。
不本意にも相手を傷つけてしまえばその時点で即刻プログラムが作動し、関係を打ち切られ、以前の関係を修復することは不可能となる。傷つけたことを反省し、自覚した頃には時すでに遅し。自他共にそれ以前の関係に回復したことはありません。見たこともありません。プログラムによってただ機械的に排除されてしまう。友人や恋人、そして家族でさえも。ちっともやさしくない。

傷つけたらお終まいという一触即発の状態であることが前提にあり、「やさしさ」を求めるうらには厳しいルールが存在しているようで、お互いの心の傷を舐め合う「やさしさ」よりも、お互いを傷つけない「やさしさ」の方が、滑らかな人間関係を維持するにはよい、ということらしい。

しかしぼくは傷つけないやさしさを持つ人をやさしいとだけ形容するには少し抵抗がある。控え目なだけの人かもしれないし、弱いだけなのかもしれない。そして、ただの人畜無害な人という可能性もある。それを「やさしい」とだけ表現し、思考停止する前に、その人の「やさしさ」の出所を懐疑的な目で見ることも時には必要であると思う。

そして、ぼくはこの「やさしさ」に対して重苦しい閉塞感を感じている。

自己所有の認識

なんのために生きるのか、生きる理由が見当たらない、いつ死んでも構わない、食事も入浴も仕事も恋愛もすべてこなすだけという、そんな生きる屍のような、飼育されているペットのような人が近年増えてきているようです。増えてきているかどうかはわかりませんがそういう人たちは意外に多いなとは体感してます。そういう人とつるむと生きた心地がしません。
みなさんの周りにも少なくとも一人はいるのではないでしょうか。
今回はそういう人を通して考えたことを綴ります。

僕はその人たちを言いくるめたいと思って書いているわけではないし、ましてや言い負かしてやろうなんてことは微塵も考えてないです。ただ考えたことを書きます。もし、そう感じた人がいればブラウザをそっと閉じて忘れてください。この話をそういう人にすると言い負かそうとしていると糾弾されることが幾度かあったので注意書きしておきます。
糾弾されるのは避けたいです。

まず、自分は何者でもない、と謙虚になることが大前提となると思います。案外そういう人っていません。生きてきた中で2人しか思い当たりません。
みなさんも、謙虚な姿勢が大事であることは重々分かっていることだとは思いますが、心の余裕が無くなったり、嫌なことがたてつづけに起こると、そうは思えなくなり謙虚であることに腐心してしまいます。大抵の人たちはこの繰り返しだと思います。
忍耐が美学と考え、無理に我慢を続け、謙虚であろうとし続けると知らず知らずのうちに心が病みます。そしてなによりこれは謙虚とは言えません。謙虚であろうとしている時点で横柄な考えです。たちの悪いパターンです。

前置きはここまでにして、いきなり質問です。皆さんの中に正しいことと間違ったことの判断基準はありますか?そして、それは一体どんなことでしょうか?

この質問に対して、多くの人が他人に迷惑をかけているか否か、という答えに行き着きます。日本人の特徴といわれる、空気を読むというやつです。これは大事な処世術のひとつですが、これを判断基準にしてしまうことにいささか疑問に感じます。
売春を考えると明らかです。先述した判断基準によれば、お互いの利害が一致しており、誰にも迷惑をかけないから良いのではないか、という意見に肩を貸すことになり、売春は正しいということになります。売春の例を一つとっても、正しいことと間違ったことの区別を行うときに迷惑をかけるかどうかは見当はずれでお門違いであることは明白です。お金もらえるんだったら、いいんじゃねと言う人もいますけどね。そういう人に限ってポイ捨てや信号無視にうるさかったりします。いみわかんねえよ。

先ほどの質問に対して、自己所有権について考えて一つの答えを出したいと思います。これは、自分は自分のものであると主張する権利のことで、自己決定権とは異なります。
法的な所有権というのは、当人に100%権利が譲渡され、一度持ってしまえば法律の範囲内では何をしても良しとされています。例えばiPhone XRを買った直後に粉々に粉砕しても良い訳です。組織を持つことになれば、伝統があろうとも、どう運営してもいいのです。法的には。
自己所有権はこの法的な意味を持つ所有権とは異なります。自分は自分で100%受け持っていると考えると先ほどと同様に売春は正しいことになります。自分は自分だけのものだし、だれにも迷惑なんてかけてない、と。また、100%自分は自分で支えていると考えるとすると、両親や恋人が急に目玉をくりぬきだしてもそれをやめさせることも、とがめることも、敬遠することも許されません。なんせ100%その人はその人のものだから。
この自分はどのくらい自分のものであるか、その割合は年々高くなってきているそうです。これは謙虚さの対義語ともいえる傲慢さの出所になりかねません。たち悪いです。

これらから自己生存は100%自分で支えていると考えるには無理があると考え、残りのパーセンテージは他の誰かが担っていると考えざるを得ません。そして同時に人間は社会的な生き物であることが理解されるはずです。自由権の台頭によって、近代では自分のものは自分のものという変な自己所有権が広まってしまったが故にこの、人間は社会的な生き物であるという自覚が薄まってきていて、これは、生きる意味がない、という人たちが増えてきた一因であるとも思います。

話があっちこっち行きましたが、ここまでで誰にも迷惑をかけないことが正しいことと盲信してしまうことが危険なことでかつ破綻していることがわかったかと思います。もちろんだからと言って、常軌を逸した明らかな迷惑行為は言わずもがなです。誰にも迷惑をかけないことは正しいことの裏付けにはなり得ません。かけない方がいいよねぐらいです。
そしてなにより迷惑をかけるかどうか、かけたかどうかなんて誰にも分かりません。迷惑をかけないようにと思っても実際のところはわかりません。神のみぞ知るというやつです。ぼくは「私は迷惑をかけるようなことはしていない」と高をくくっている人には近づきたくありません。たちの悪いパターンの人です。

では、自分の自己所有権を主張できる残りの誰かさんはどんな人たちのことを指すのでしょうか。
僕が思いつく限りでは、その可能性を持つものは、家族、社会、地域、塾、バイト、部活、学校、友達、配偶者、恋人などが挙げられます。いわゆる共同体と呼ばれるものです。逆に、自己所有権を主張できない人、あるいは認めたくない人は自分とは関係のない人だと思います。ここで割り切ってしまってもいいのかという疑問はありますが、横柄なことに人間は自分が生きていくのに直接的に関わっていると実感できる人たちにしか自己所有権を認めようとはしません。先人たちの膨大な知恵の上に生かされているのにも関わらず。

"自分"というのは自分で自分になったわけではなく、先述したような何かしらの共同体に支えられ、"自分"は名前を含め、共同代の中で与えられた立場のことです。それだけです。ホントに"自分"は何者でもないのです。
しかし、このように自分を取り巻く環境やそれによる条件付けが行われていたとしても"自分"が決まってしまうということは決してないわけであくまでも深く影響されているというだけです。"自分"が決定されてしまうわけではありません。共同体からの自分への刺激に対する自分自身への影響は自分で選択する自由があります。この過程で自分が形成され、決定されていくのだと僕は思います。人生は自由だ、とかよく聞きますよね。

ここまでの話で、自分(生命)は過去(共同体からの支え)からの贈り物、与えられたものだということがわかります。しかし、自分には何らかの刺激に対して自分自身への影響を選択する自由がある。すると、必然にその生命の使い方には責任が伴ってきます。"自分"という存在が背負っている歴史的・文化的な背景に鑑みて、自らの所属する共同体の福利向上のために自らの生命を使うという責任が。

これが謙虚さの基になり、謙虚さは学びの原動力に、そして生きる活力・目的に通じてきます。ここで謙虚と卑下をはき違えてはいけません。自分を卑下すること、ましてや自らの生命に自ら終止符を打つことは、過去に関わった人たち、共同体への侮辱に値します。これをぼくは間違ったことだと思います。そして、この責任を全うすることこそが正しいことであり、そして、生きることだとぼくは思います。この、責任を全うする方法は人それぞれです。ですから、他人の行為をやすやすと正しい、正しくないと判断することは不可能ですし、意味のないことです。他人に迷惑をかけるか否かが正しい、正しくないであれば判断は簡単ですが。

約一年半前から、このことについて考えているのですがなかなか納得の行く考えにたどり着きません。途中経過として書きました。なにかご鞭撻いただけると幸甚です。ちなみにこの考えはコミュニタリズムに分類されるそうです。

書き終えたら、少し高級なソフトクリームを食べようと買ってきたのでそれを食べて寝ます。