ロマンティックラブ

恋に「落ちる」。

それを経験するかどうかは運の問題で、運がよければそこに「落ちてくる」。自分の交換価値の限界を考慮したうえで、市場で手に入る最良の商品を見つけたと思ったときに、そこに「落ちてくる」。ここでは不動産を購入するときと同じように将来発展しうる隠れた可能性が重要な役割を演じる。物質的成功がとりわけ価値を持つ現代社会においては、これをロマンティックラブと呼ぶのだろうと思う。尤もロマンティックな言い方ではないが、つまるところ、お買い得商品を探し当てることができたということだろうと思う。

悲しいラブストーリーを描いた映画を観、少女漫画を読みふけり、愛を歌った流行歌に聞き入っている。ロマンティックラブを夢見ながら、誰もが愛に飢えている。だれもが愛を求めている。それも受動的な愛を。誰もが愛されたいと思っている。その人たちにとって重要なことはどうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になるかということらしい。社会的価値を持つ良い「商品」になるにはどうすればいいのだろうといった具合に。

そして、誰彼も精いっぱい愛そうと努力することはあまりしない。少なくとも僕の目にはそう映る。そこで努力するものではないと思っているのだろうか。わからない。

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標準的な「商品」になれなくて、自分なんてだめだ、などと悲観する裏にはこういった情動もあるのかもしれないですね。いろいろな商品があったほうが僕は面白いと思いますが。

電車の中でこの記事に書いてあることを考えていたのですが、電車の中ではいろいろな発見があります。その中でも流行っていうものは想像以上にすごいものですね。みんな同じような服を着て同じような鞄を背負って同じようなゲームをして、同じような曲を聴いて。そして、みんなは平等っていうのは言葉の綾ですね。一体という意味での平等ではなくて同一という意味での平等で、どんどんどんどんみんなが標準化されて行って、異質なものは即刻排除という感じで怖いですね。

モテたいのであれば、まずは自分を抑えて害のない標準的な「商品」を目指しましょう!